竹谷正明さん(高35)

「未来を創る」

現役立高生への配布冊子(H23年版)より転載 当サイトへの掲載をご了解いただいております。

狛江市立狛江第五小学校 教諭 竹谷 正明(高35期)

 

私は,東京都の公立小学校の教諭です。毎日元気な子ども達と接する楽しさ,成長する姿を間近に見られることの喜びはこの職業ならではのものだと思います。もちろん楽しいことばかりではなく,厳しい場面に出会うことも度々あります。しかし,課題に直面したときに,子どもの成長に関わる学校・保護者・地域の方々と話し合い,連携をとって乗り越えていくときに感じられる達成感もまたこの職業の醍醐味と言えるでしょう。

現在,私は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県に,東京都からの被災県支援教員として派遣され,気仙沼市立気仙沼小学校に勤務しています。大きな災害によって子ども達の生活もより厳しさを増しています。津波などの被害のため,自宅から離れて生活しなければならない子がいます。7割の人が水産業関連の職業に就いているこの町では,保護者の多くが失職し先の見通しも立たずにいます。そのため,子ども達や保護者の心の状態もいろいろな問題を抱えやすくなっています。私にとって今回の派遣は,そういう状況の中で今までの知識や経験がどこまで生かせるかにチャレンジする機会と考え,日々を過ごしています。

教職について25年が過ぎようとしていますが,気仙沼小学校での生活は,自分が教師としてまだまだ成長できる余地があることを教えてくれています。さらに平常時の東京にいても,非常時の宮城にいても,教職に関する重要な資質は変わらないことにも気付かされました。その資質とは,3つの能力とそのベースとなる基本的な姿勢です。3つの能力とは,相手の思いを受け止めて自分の思いを伝えるコミュニケーション能力,学習事項を子ども達の実態に合わせて授業や行事として組み立てる企画立案能力,同学年の先生や管理職・関係機関の方とも連携をとって教育活動を進める組織運営能力です。そのベースにあるのが,人間という存在をより深く理解しようという姿勢です。

そして私の場合,この3つの能力の基礎は高校時代に育てていただいたのだと思います。私は立高での3年間,体育祭実行委員会(体実)に所属していました。2年生のときには委員長を務めました。その役割を果たす中で上記の能力が必要とされる場面がいくつもありました。

例えば,チームごとの都合を調整するためにキャンバスチーフや応援団長と話し合うときには一方的に体実の都合だけを伝えてもうまくいきません。ここではコミュニケーション能力が必要とされます。

また,体育祭に割り当てられた限られた予算を有効に使うためには,必要な物品をリストアップし,その項目ごとの優先順位を決定しなければなりません。準備の段取りも少し手順が前後しただけで能率がかなり違います。ここでは企画立案能力が求められます。

そして,体実の中での分担に応じて仕事を割り振ったり進捗状況を確認していったりすることや,実施計画を中央委員会などの会議で承認してもらうための連絡調整という場面では組織運営能力を発揮していかなくてはなりません。

「役割を果たす」といっても,すべてうまくいったわけではありません。正直に言えばむしろ失敗の連続でした。しかしそれでも何とか当日をむかえることができたのは,体実のメンバーに支えられ,各チームのチーフ・団長が理解を示してくれたおかげです。そういう人たちに対する「申し訳ない」という思いが,「失敗はくり返さない」という意識となって私に力を付けてきてくれたように思います。

一方で,高校の中だけでは得られない経験で,今に生きているものもあります。それは自分の生活する地域にあるボランティアグループでの活動です。私は高校生になってすぐ,地域子ども会のイベントをお手伝いしたり,夏にキャンプに行ったりするリーダーグループに所属しました。実際に子ども達と接して一番感じたことは,「子どもって思った通りに動かないものなんだな」ということです。今から考えてみれば当たり前のことなのですが,当時は思い通りに動かさなくてはと思い込んでいたのです。

進路を考えるときに,そのことが壁になりました。「自分は子ども達と接する仕事には向いていないのではないか」と悩みました。そのため,進路を考えた当初は,教職とは直接関連のない大学・学部を志望先にしていたのです。しかし,最終的には教職の道に進むことを決めました。それは,「人間と関わる仕事がしたい,人間の不思議さに触れていたい」という思いがいつも心のどこかにあったからです。その思いは,受験のために子ども達とふれあう活動から離れている間も弱まることなく,むしろ強まっていったのです。

そして,東京学芸大学を受験しました。二次試験で一番ポイントになったのが,小論文であったと思います。ある作家の作品の一部が提示され,その表現技法についての批評を述べるという問題でした。当時,立高の国語科で深澤先生にお世話になり,さまざまなレポートが課題として提出されることがくり返されていたので,さほど苦しむことなく答案を書くことができました。無事合格できたのはそのおかげが大きかったと思います。

大学の4年間は言うに及ばず,就職してから今に至るまで,地域での活動はずっと継続しています。そのことが今の自分をつくってくれたベースになっていることは間違いありません。しかし,立高での3年間がなかったら,やはり今の自分はないだろうと思います。後輩の皆さん方の中で教職を目指そうという方には,ぜひ立高での生活でより多くの人と関われる経験をしていくことと,立高の中だけでは経験できないことに触れる機会を持つことを考えていただきたいと思います。

冒頭にも書いたとおり,今,私は東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県気仙沼市にいます。この原稿を書いている時点で震災から半年が過ぎようとしていますが,市の中心部にはがれきの山や傾いた建物が残ったままです。実際にその光景を目の当たりにすると暗い気持ちになります。「復興」と言うけれど,いったい何年かかるのか見通しすら立たないのが現状です。しかし,気仙沼の人たちは,必ず復興させるんだという強い思いをもっておられます。まだまだ長くかかる道のり。それを支えるのは未来を担う子ども達です。その子ども達の成長に関わることができると思うと,大きな高揚感に包まれます。私たち教職に携わる者の仕事は,未来を創る仕事なのです。