神坂真理子さん (高29)

きっかけはいつも「出会い」

現役立高生への配布冊子(H23年版)より転載
当サイトへの掲載をご了解いただいております。

作曲家 洗足学園音楽大学講師 神坂真理子 29期

あなたが立川高校に入学されてから、はや半年あまり。高校生活にも慣れ、充実した毎日を送っていらっしゃることでしょう。私がちょうどあなたぐらいの時期といえば、立高祭に向けての応援練習で黄色い声を張り上げていたこと、憧れの先輩の美声に胸ときめかせていた音楽部の練習など、懐かしく思い出されます。今は様変わりしたようですが、私が現役の時は大きな校内行事がいくつもあり、それを中心に学校全体が動いているようでした。みんながいつ勉強していたのか不思議なくらいです。慌ただしい学校生活と並行して、私は東京芸術大学の作曲科受験に備えてレッスンに通っていました。当時、作曲科を受けるには、和声学と対位法という二つの音楽理論や、入試の課題であるソナタとフーガの作曲法を学ぶ必要があり、作曲の先生二人と、ピアノとソルフェージュそれぞれの先生のもとに毎週通っていたため、両親も1レッスンごとの謝礼を工面するのに大変だったことと思います。

音楽の道に進んだのには、父親の影響があったと思います。クラシック音楽がとにかく好きで、私が物心ついた頃、家の中にはいつもフルトヴェングラー、ハイフェッツ、コルトーなどの演奏が流れ、私は幼いながらもその影響を受けていました。

良き先生の出会いもまた、私を導いてくれたのでした。ピアノの先生から、音楽性を高めるために和声学のレッスンを勧められ、紹介されたのが芸大で教鞭を執っておられた宍戸睦郎先生です。私が中学2年の時でした。何度かレッスンに通ううち、母も一緒にお宅に呼ばれ、芸大作曲科を受けてはどうかと言われました。今でこそ、大学の情報を得る手段はたくさんありますが、その時の私と芸大との接点は宍戸先生だけで、その先生が受けろというのなら受けようと思いました。怖いもの知らずだったのです。両親にとっても未知の世界でしたし、その時代の先生は絶対的な存在でしたから、先生に娘をお任せしようと思ったのでしょう。

こうして立高に入ってからもレッスン通いが続く中、井上智子先生の音楽の授業は、音楽イコール受験勉強だった私が純粋に音楽を楽しめる時間でした。今でも覚えているのは、シャリアピンの「ヴォルガの舟歌」を聞いた時のことです。彼の、ロシアの大地そのもののような声にすっかり魅せられ、授業が終わるとその感動を伝え、もう一度聞きたいとお願いしたのです。先生は喜ばれ、早速そのレコードを貸してくださいました。物理の大矢博先生も印象に残っています。レポート提出がよく宿題になりましたが、物理が全くお手上げだった私は仕方なく、レポートはそこそこに、今聴いているレコードのことをあれこれ書いて提出しました。すると「僕もクラシックが好きです。毎晩平均レコード2枚は聴いています」とコメントをくださったのです。先生の寛容なお人柄には頭が下がります。普通なら職員室に呼び出されるところです。それ以後、先生との音楽談義の往復が続き、私はめでたく物理の単位が取れました。まわりのクラスメートは皆秀才ぞろいでしたが、私のようなトンチンカンな生徒にも、立高の先生方は分け隔てなく寛大でした。レッスン漬けの日々、学校との両立でへとへとになりながらも、不思議と心にゆとりがあったのは、立高の懐の深さのおかげかもしれません。

幸い、現役で芸大の作曲科に入った私は、個性的で才能にあふれた同期生から刺激を受けながら、次第に作曲に目覚め作曲することが面白くなっていきました。ようやく、自分がこの分野に進んだのは間違っていなかったと思えたのです。オーケストラの作品が首席となり、安宅賞を受賞するに至って、自分は作曲を続けていこうと決心しました。とはいえ、卒業後は今でいうフリーターでした。受験指導をしたり、ピアノを教えたり、伴奏をしたり。そんな時出会ったのが、童謡歌手で一世を風靡した川田正子先生でした。合唱団を主宰される傍ら、歌手活動を続けておられ、私は伴奏や編曲をさせて頂きました。日本の童謡、唱歌、叙情歌を再認識できたのは彼女の歌声からでした。この出会いをきっかけに、こどもの歌の作曲や編曲に忙しくなりました。主にビクタースタジオでの仕事でしたが、いつも締め切りに追われ徹夜が続きました。その頃、私は子ども二人の子育て真っ最中で、夫も仕事が忙しく帰りも遅いため、実家の母を頼ることも度々でした。子ども達にディズニーのビデオを見せながら仕事に没頭してしまい、ハッと気づくとビデオはとっくに終わり、子ども達はソファで寝てしまっていたなんてこともありました。このまま仕事を続けていかれるか自信を失いかけていた頃、洗足学園音楽大学の主任教授になられていた恩師の宍戸先生から講師のお話を頂いたのです。こうして、ようやく自分の定収入を得られるようになりました。

大学で和声学、対位法などの西洋音楽理論を教えながら、私のライフワークは邦楽器の為の曲を作曲することです。箏や尺八の演奏家達との活動の輪が広がり、今では私の作品の多くを占めるようになりました。尺八や琵琶などの邦楽器は、一つの音に込められた強さと美しさがあります。尺八には「一音成仏」という言葉もあるくらいです。そういう魅力的な楽器から、これまで西洋音楽の耳を養ってきた私にどのような表現ができるか模索しており、最近では邦楽器と洋楽器のアンサンブルの為の曲などを作っています。

振り返ってみると、いかに自分の人生は人との出会いによって開かれてきたかと痛感します。私に大きな影響を与えてくれた宍戸先生も川田先生も数年前に相次いでお亡くなりになり、私を音楽にあふれた環境の中で育ててくれた父も亡くなりました。でも三人は私の中で今も生きています。

今、あなたに言えることは、人との出会いを大切にして下さいということです。あなたがこれから出会う人が、あなたの人生にかけがえのない存在になるかもしれません。あるいはそのときはそうでなくても、十年、二十年後に再会し、それをきっかけにあなたと新たな絆で結ばれるかもしれません。

どうぞ、出会いを大切に、あなたの道をひたむきに歩んでいって下さい。