高24期同期会 フェニックス会報告

高24期同期会 フェニックス会報告

 

高橋正彦

 

2014(平成26)年のフェニックス会は、9月20日(土)夕刻、爽やかな初秋の気配が漂う日比谷公園に臨む、帝国ホテル東京で開かれました。昨年は「祝還暦フェニックス会」と銘打たれていましたが、会場で配付された今年の「フェニックス通信」の表題は、「祝入学45周年記念」となっていました。昨年は還暦効果もあってか、参加者80余名の盛況でしたが、今年も74名と相当数の方々が参加されました。

直近1年間に逝去された同期生がおられると、黙祷から始まるのがフェニックス会の慣例になっています。これがないと「一人も欠けずに良かった」と思うのですが、今年は内山玲子さんのご冥福を祈り、全員で黙祷しました。元気で存在感のある方でしたが、残念でなりません。

続いて、恩師としてご出席いただいた柿添賢之先生にご挨拶をいただきました。柿添先生は私達と立川高校の入学(?)同期で、今も女子大で教えておられる現役でもあり、周りの方々を見渡すと、どちらが元先生か元生徒か分からないほど、若々しく見えます。立高時代の思い出から、「次の東京オリンピックを元気に迎えたい」というご希望まで、私達を温かく叱咤激励してくださいました。

歓談に移ってから、各参加者の近況報告などが続きましたが、会場が賑やかすぎて、あまりよく聞こえません。そのなかで、「立高時代に同期の彼女(実名入り)に振られ、いまだに独身」という衝撃の告白や、「小学校教員として定年退職後再任用され、新人教員の育成に奮闘中」等の現場報告、青梅マラソンの主催者側と出場者側双方の抱負など、それぞれに興味深い話が聞けました。

かつての紅顔の美少年や、男子生徒の憧れのマドンナも、今では年相応のおじさん、おばさんとなっています。それでも、フェニックス会で顔を合わせれば、数十年の年月を一瞬で飛び越え、立高での青春時代に戻ることができます。それを楽しみに、毎年、大勢の同期生が集まってくるのでしょう。

ただ、楽しい時間はあっという間に過ぎ、ここに掲げる全員の記念写真を撮影して、一次会はお開きとなりました。写真から、和やかな雰囲気が伝わってくるでしょうか。その後、新橋の居酒屋での二次会に移動し、再び大いに盛り上がりました。夜更けに散会となり、来年のフェニックス会(既に日程も内定)での再会を期して、それぞれ帰途につきました。

翌日、私は自宅で、力作の「フェニックス通信」を通読しました。今回、参加できなかった方々も含め、多くの同期生の近況報告が綴られています。既にリタイアされた方、現役でも第一の人生の続きの方、第二・第三の人生に入られた方など様々ですが、それぞれの人生を前向きに生きておられることがよく分かり、とても励みになります。

「フェニックス通信」には、私達が立高に入学した1969(昭和44)年の6月発行の「立高新聞」も掲載されています。この年の10月に、校舎のバリケード封鎖に始まる紛争が発生しました。私達は、当時の進学校を中心に広がった高校紛争を経験した、最後の世代に属することになります。この立高新聞の記事を読むと、紛争前夜の独特の熱気が濃厚に立ち上ってきます。

私自身は現在、大学教員を務めていますが、自分が指導する学部のゼミ生に、立高の後輩がいます。彼によると、最近の立高生は、和気あいあいと楽しい高校生活を過ごしている一方、勉強もほどほどのようです。私達の立高時代をあらためて振り返ると、紛争経験もあり、政治・社会思想や大学受験、あるいは友人関係や恋愛などに悩みながら、それなりに一生懸命、勉強もしていました。そうした青臭い青春時代を共有していることが、私達の人生の貴重な財産になっていることは間違いありません。

「フェニックス会」という名称は、「24期→ふし→不死鳥→フェニックス」という連想に由来しています。今春までに全員が還暦を迎えた私達も、不死鳥のように、これからの人生を息長く元気に、精一杯飛び続けていきたいものです。

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