会報56号記事訂正(P42~43)について

12月発行の会報56号42~43ページ、丹辺先生の追悼文に誤りがありました。
丹辺先生のご家族のみなさま、追悼文をご執筆いただいた新林様には、まことに申し訳ございませんでした。
ここに、誤りを正した全文を掲載いたします。

タヴァーリシ(同志)丹辺文彦先生

                                    新林 孝晴(高24)

旧ソ連の宇宙開発と大自然に関心があった私は、2年生になる際に露語を第二外国語として選択しましたので、英語と露語をクラス担任の丹辺文彦先生に学ぶ機会を得ました。授業中は厳しくも、心優しい教師でした。
夏休みの大阪万博では、ソ連館で露語会話をしながら、一日楽しく過ごせました。(尚、同博の事務総長はO.B.の鈴木俊一氏でした。)
2学期に登校しますと、丹辺先生は広島大学に露語学科を開設するために栄転されていました。先生は熊本の旧制第五高等学校から、東京大学の言語学科に進まれた露語学者でありました。
丹辺先生が2013年の秋、24期会に出席してくださる事になり、旧露語組が中心となり露語の合唱で先生を歓迎しました。すると丹辺先生は“道”で返歌してくださいました。
私は家がお寺である為に、仏教学を専攻する事になりました。その様な経緯をご存知の丹辺先生からは、夭折されましたご次男様の件で何度かお電話を頂き、ご子息の日記の“抄録”を読ませていただいたことがあります。
2015年の師走に、丹辺先生を慕う四名で名古屋市の先生宅を尋ねますと、奇しくも忘年会になったねと大変お喜びになられ、来春もまた御出よと声を掛けてくださいました。85を越して尚矍鑠とされていましたので我々も油断し、翌年の訪問は実現しませんでした。
そこで冬の金沢名物・蕪鮨を先生にお贈りしました事から、新年早々に恩師の訃報に接したのであります。
2年前に再訪を約束して別れます時に、丹辺先生は私の顔を覗き込み、次は仏教について話そうやと語り掛けてくれましたが、先生の訃報は仏陀の臨終の言葉を体現されているのではと私には思えてなりません。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。」